風光明媚な市街地コースで、ラグジュアリーな雰囲気のなか、くりひろげられるF1モナコグランプリ。1969年、この伝統的なGPの名を冠したクロノグラフの【モナコ】が誕生する。史上初めて防水能を備えた角形ケースに、世界初の自動巻きクロノグラフ ムーブメントを搭載したマスターピース。時計史上初の快挙をダブルで成し遂げたこの偉業により、いつしか【モナコ】はTAGheuer(タグホイヤー)の革新性の象徴とみなされることになっていく。革新的な新機構が搭載されることも多く、他に類を見ないアヴァンギャルドな姿を幾度となく披露している。
MONACO(モナコ)自動巻き クロノグラフ
初代モデルに忠実な顔立ちに最新技を投入
1969年初代を彷彿させるヴィンテージライクな角形ケースに、レトロなスクエア型のインダイアルを装備。2009年の誕生40周年目にリニューアルされ、サファイアクリスタル風防やシースルーバッグを採用。防水性能は100mへと大幅に引き上げられた。映画【栄光のル・マン】で名優スティーブ・マックイーンが装着したブルーダイヤルが有名だ。ケース径39mm。自動巻き。SSケース。アリゲーターストラップ。価格632,500円(税込)
時を超越した革新的デザインと、半世紀近くに渡り語り継がれる伝説。1969年、タグホイヤーは世界初の自動巻きクロノグラフムーブメント「キャリバー11」を搭載した世界初の時計を発表した。それがモナコだ。シーキング・スピリットと真の伝説が融合したタイムピースです。
クルマと腕時計の黄金時代
1970年代に入り、高まるモーターレシングへの熱狂をさらにかき立てたのがスティーブ・マックイーンが主演した映画【栄光のル・マン】だった。鮮烈なレースシーンとともに、熱い視線を集めたのがそこ腕につけられていた【モナコ】である。レースと腕時計の蜜月の関係はさらにここから深まったのだ。
世界初の自動巻きクロノグラフという【モナコ】の革新性に魅了されたのは時計ファンだけではなかった。ハリウッドスター、スティーブ・マックイーンもそのひとりだった。当時マックイーンは5年をかけ、レースへのオマージュをテーマにした映画「栄光のル・マン」の準備にかかっていた。役作りのため、親友であり、デイトナ24時間やセブリング12時間レースで優勝したスイス人レーサー、ジョー・シフェールをアドバイザーに招き、ドライビングはもとより、小道具に至るまで相談したという。
ジョー・シフェールは1969年にタグホイヤーと契約を交わし、モーターレーシング史上初の腕時計ブランドのスポンサード・レーサーになっていた。それは大きな話題となり、マックイーンが劇中着けていたレーシングスーツの右胸にもホイヤー・ロゴが揚げられていたのも、シフェールのスタイルを参考にしたためだ。とはいえ、そこには間違いなくマックイーンの意思が貫かれていた。時計に関しては用意された中からシフェールが愛用していた【オクタヴィア】ではなく、【モナコ】を選んだのだから。レースでの機能性やリアリティを考えれば、それこそ【オクタヴィア】なふさわしかっただろう。しかし、マックイーンは自信に通じる美学を【モナコ】に感じ取ったのかもしれない。それはまさに運命的な出会いだったのだ。撮影中、スタントマンを立てないマックイーンに記者が尋ねたというをなぜ自ら命の危険にさらすのかーー。「観客がわかってくれるのさ。で、もっと大事なのはわ私自身にわかっているということだ。」おマックイーンは答えた。まさにその信念と情熱に触れたのがタグホイヤーCEOのババン氏である。撮影が行われた1970年のル・マン・サーキット。ここに10歳のババン氏がいたのである。「15万人の大観衆の前を、時速300kmのマシンが走り抜けていく様子を今でも鮮明に覚えています。とくに夜間、闇のなかにマシンが消えていく様子はまるで夢のようでした」と語る。感情を揺さぶり、いつまでも感動を残す、わモーターレーシングの本質はそこにある。
2009年、【モナコ】誕生40年を祝したイベントがパリで開かれた。折しも数週間前に開催された「ル・マン24時間耐久レース」では【モナコ】を腕に着けたプジョー・スポーツが念願の優勝を飾り、モーターレーシングとともに歩んだ歴史の最高のトリビュートを捧げた。さらに会場にはF1ドライバーのルイス・ハミルトンも訪れ、マックイーンとの共演で話題になったウェブムービーが世界初公開された。スクリーンに映し出されたマックイーンと【モナコ】の姿は40年近い時を感じさせず、新鮮さを失わない。それは両者に共通する永遠の魅力であるとともに、レースと時計という時代を超えた絆を象徴するのである。