余り知られていませんが、ブローチを運営する株式会社マキノは新潟の地で創業78年、ブローチ(マキノ)は第三世代(4代目)に突入し老舗の仲間入りをしている宝石店です。日本国内の宝飾企業の中でもサイトホルダーとのお付き合いはかなり長い企業のうちの一つに数えられていると思います。
ダイヤモンドビジネスはなぜか世襲のファミリービジネスが多く、大企業である事よりも世襲制の企業である事の方が重んじられています。弊社の場合も最初の取引から数年後に現社長が現地入りした時からサイトホルダー側の対応も大きく変化しました。
ダイヤモンドビジネスに限らず、一度に大きな売り上げを上げるよりも継続的にビジネス出来る方が良い取引先として考えられているのです。
さらには現在の日本ではあまり重要視されないヨーロッパ的な家の格の様なものが有るのかもしれません。BROOCHは先代の時にボツワナのデビアス本社やデブスワナの運営するダイヤモンド鉱山からのダイヤモンド供給を受けるなどダイヤモンドに長い時間をかけて取り組んできた実績が有ります。
サイトホルダーも先代の時代からプレイヤーは完全に私たちの世代へ代替りしていますが、BROOCHの場合は其れでも継続的な商売が出来るような基盤を常に作っているのです。
サイトホルダーとは?
サイトホルダーはSightholdersと書きます。言葉を分解すると視覚や見るを意味するサイト(Sight)に、所有者の意味を持つホールド(holders)を組み合わせた言葉です。ダイヤモンド原石の加工はとても特殊な技術を要するために、世界的にも一部の限られた企業のみがそのノウハウを保有しています。「ダイヤモンドを制するものは世界を制する」は世界的に有名な格言ですが、サイトホルダーはダイヤモンド加工のノウハウを持つ企業であるために、逆に社会的な様々な責任を果たす義務も持つのです。
ダイヤモンド業界において高いステータスと権威を持つ企業の1つがサイトホルダーです。ダイヤモンドは地下資源採掘企業から原石が供給されますが、その原石供給はサイト制と呼ばれる入札方式です。1880年代に生まれたアフリカのダイヤモンド・カルテル、デビアスがその母体となって形成されるダイヤモンド原石の入札制度の事を指します。
ダイヤモンドカルテル、デビアスとサイトホルダー
1860年にアフリカでダイヤモンド原石が発見されてから20年後の1880年、人類は遂に一次鉱床にたどり着きます。アフリカでのダイヤモンド発見は紀元前7世紀からそれまでに見つかったダイヤモンドの総量をたった一年で塗り替えるものでした。宝石の王様として君臨していたダイヤモンドも急激な供給過多により価格は急落してしまいます。地下資源採掘は予定された金額でダイヤモンドが販売されなければ赤字となってしまい、継続的な採掘が出来ない事態になりかねない窮地に立たされたのです。
そこでデビアスはダイヤモンド原石を販売する企業に対して供給量を絞ってダイヤモンドの市場価値の安定化を計る為にカルテルを作り出したのです。
このカルテルを作り出した偉人こそ、アフリカのナポレオンと異名を取ったセシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes、1853年7月5日 – 1902年3月26日)でした。
セシル・ローズはイギリス帝国の植民地政治家。南アフリカの鉱物採掘で巨富を得て植民地首相となった初代デビアスの総帥。今日のダイヤモンド業界を作ったと言っても過言ではない人物。帝国主義者で人種差別主義者でもあり過激な思想の持ち主で有ったため彼に対して批判的な文献も多数残っています。
また出身大学のオックスフォードにも基金を残しているのですが、アングロサクソンこそ優れた人種であると信じ切っていましたローズは「人種差別主義者」だったことで現在、その銅像は撤去されています。
セシルローズはダイヤモンドの採掘で得た資金力を背景に敵対するダイヤモンド鉱山を次々買収し南アフリカのダイヤモンド鉱山を買収しきると、政治力を使ってトランスバール共和国のダイヤモンド鉱山(プレミア鉱山)と金鉱脈もその手中に治めます。こうして事実上南アフリカのダイヤモンド鉱山は全て彼の支配下に置かれました。また同時に金採掘にも乗り出し、世界最大の産金王にのし上がるとともに、南アフリカの鉄道インフラや・電信・新聞等のメディアインフラも手に入れ支配下に置いたのです。
ローズはまさに南アフリカの政治・経済の実権を一手に握り、その威風は帝王を思わせ「アフリカのナポレオン」と呼ばれるまでになったのです。
自身の著書の中で彼は「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られる事を望んでおられる。できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい」と語っています。怖いですね、しかしローズの狂信的なダイヤモンドカルテルへの想いが現在のダイヤモンドを作り上げたと言っても過言ではありません
そしてセシル・ローズのこの考え方はカルテルとしてのデビアスの力を決定的にしたアーネスト・オッペンハイマーに受け継がれ、以後デビアスグループは現在もダイヤモンド業界で大きな力を保ったままなのです。
サイトホルダーはダイヤモンド原石の供給を完全にコントロールしてきたデビアスグループから原石救急を受ける事の出来る企業を指す言葉なのです。
世界的なダイヤモンドの供給を支配したデビアスですが同時にカルテルによる談合は独占禁止法違反となる為にデビアスでは厳格に公平で公正なサイト運営をしています。
1990年以降のダイヤモンド業界の変化
1990年以降、デビアス管轄以外のダイヤモンド鉱山がロシアやオーストラリア、ジンバブエ、等で次々創業した事でデビアスの一党独裁の様な状況は改善されましたが、ダイヤモンド研磨は特殊な技術を要するためにロシアやオーストラリアの鉱山企業はダイヤモンド原石をデビアスのサイトホルダーに販売する手法を選択しています。
これによってサイトホルダーはデビアスを含めたダイヤモンド鉱山企業よりもより企業のモラルが国際的に問われるグローバル企業へと変貌していくのです。
現在ダイヤモンド産出国の多くは地下資源採掘が主な外貨獲得手段となっている事から、地下資源採掘を通じて電気やガス・水道等の生活インフラの整備を行う必要が有り、サイトホルダーはこれに積極的に協力しなければなりません。また、病院や学校の建設、道路整備などの世界水準の社会生活を行う為の基盤作りにも協力し、自然環境保護などの当たり前の社会的な責任も果たさなければならないのです。サスティナブルで持続可能な世界の実現に力を注いでいるのです。
BROOCHはサイトホルダーの代理店です
2003年に東京で行われた国際宝飾展でダイヤモンド鉱山のデビアスは【ダイヤモンドデイ】と言うイベントを企画、世界中のサイトホルダーに国際宝飾展へブース出展してダイヤモンドデイに参加するように指示しました。
この時BROOCHのサイトホルダーは本社がインドムンバイに有り、経営者一族は基本的にインド人だった事と日本に事務所が無く、日本への入国も制限されていたために国際宝飾展へ出店するためにはインド政府に提出する身元引受人が必要でした。
BROOCHはこの時サイトホルダーの身元引受人となってダイヤモンドデイに参加した経緯を持ちます。この時からBROOCHがサイトホルダーの日本国内の代理店となったのです。以後、ダイヤモンドの卸売業も社内でスタートしています。
圧倒的な輝きを放つブローチのダイヤモンド
ブローチのダイヤモンドはサイトホルダーの協力を得て最高品質の原石を使用します。またダイヤモンドの輝きは原石と研磨者の腕前で決まると言われて居る事から、世界最高の研磨技術を持つ職人フィリッペンス・ベルト氏を指名、ベルト氏はBROOCHのサイトホルダーから供給されるダイヤモンド原石を専属に研磨する職人では在りませんが、優先的にブローチのダイヤモンドを研磨仕上げしてもらっています。
現在ブローチで取り扱うダイヤモンド原石はデビアスがサイトホルダーと協力して展開しているブランド用に指定している原石を使っています。それはデビアスの原石のTOP0.96%まで選び抜かれた超高品質なダイヤモンド原石です。
サイトホルダーには原石の部門と研磨石の部門が有り、原石部門の責任者で次期社長のS氏と。どんなダイヤモンドブランドも鉱山から直接ダイヤモンドを買い付けて居る事は無くサイトホルダーを介してダイヤモンドを調達します。
サイトホルダーを謳っている小売店は有りますが、国境を跨ぐ際にはどうしても関税が発生し、国外に事務所が有る場合は様々な経費が発生するためにダイヤモンドの国内価格にどうしても反映してしまうのです。
また美しいダイヤモンドを磨き上げる為にはサイトホルダーで有るだけでなく鉱山会社であるデビアスからどういった原石の供給を受けるのか?はとっても大切な要素なのです。ダイヤモンドの美しさは原石の品質と研磨者の腕前で決まる。ダイヤモンド業界の格言です。
現在ブローチのダイヤモンドはデビアスから供給されたアフリカ産最高品質の原石を最高の研磨者が仕上げるとてつもない最高品質のダイヤモンドを新潟の皆様にお届けできているのです。ブローチ店頭でぜひその輝きをお確かめください。